過去に学ぶ英知
過去から学ぶ未来
先日、公共放送TVで若者たちが平和を議論する番組が放映されていた。安保法案の賛成派反対派、そして中間派と均衡のとれた出席者の配分であったせいか、公正な報道姿勢が感じられた。その中で気になったのが、若い男性がしきりに「未来を語る」必要性を強調する姿であった。それが高じて、長崎の原爆被害について「過去はどうでもいい、これからの未来を語ることが大事だ」というのを聞いて、大きな違和感を覚えた。見方によれば、大変危険な考え方だ。行きあたりばったりで言動する、過去からは何も学ばない、そういうように聞こえる。法律の世界で慣習法という、英国米国の法体制に代表されるものがある。
それは過去に起きた判例を基凖にして、現在未来の案件、事件を判断処理してゆく。科学の世界でも、人間生活の日常でも、我々は過去の事例を基準として生きている。過去がどうでもよかったら、人間は何から学ぶのか。未来志向というのは、格好良く見えるし、聞こえもする。しかし、過去に立脚しない未来志向は砂上の楼閣で、風のひと吹きで倒れる。人類の英智は、過去に犯した失敗や発見から成り立っている。